旧暦とは、「太陰太陽暦」のことで、現在、私たちが使用しているのが「太陽暦」である。太陰太陽暦から太陽暦に改暦されたのは、1872年11月、太政官布告「明治5年(1872年)12月3日を以って、明治6年1月1日とする」としてからである。
朝鮮では、1895年(明治28年)、中国では1912年(明治45年)に、同じく太陰太陽暦から太陽暦に改暦している。世界で広く使用されている歴には、このほかに「太陰暦」がある。
太陽暦は、太陽の運行を基準にした暦。地球が太陽を1周するのに365.2422日かかっている。これを基に4年に1度、2月を29日として閏年として定め、実太陽年との誤差を修正して1年を365日とする暦となった。
太陰暦は、月のサイクルを基準に1年を定めた暦。月が地球の周回軌道を1周するのは約29.53日かかる。その12か月は354.37日で、この「月ごよみ」を1年としている。1年を354日(または355日)となるように、29日の月(小の月)と30日の月(大の月)に分けた暦で、主としてイスラム教徒の生活基準となっている。
太陰太陽暦は、月と太陽の両方の運行を取り入れた暦。月の1年(354日)は太陽の1年(365日)に11日足りないから、19年間に7回、13カ月の月を作り「閏年」とした。閏年は13カ月となり、1年は384日前後となる調整暦を作った。この暦は、月と太陽の運行をうまく取り入れており、農作業(植物のバイオリズム)のリズムとも合っているため、「農暦」とも呼ばれている。月の自然界に対する作用の重要性に気づいた人達によって作られ、約4千年前の中国・黄河流域の農耕民族によって発展した。アジア地域の農耕民たちの生活習慣や信仰リズムとして用いられ、日本には6世紀後半に伝来したといわれている。改暦されたとはいえ、日本でも戦前戦中、1960年代ごろまでは農村を中心に農暦、生活習慣暦としてよく使用されていた。
朝鮮半島では、日本の植民地時代はずっと、特に一般民衆は旧暦の生活リズムで暮らしていた。チェサ(祭)も正月も、さらに重要な歴史的な事柄をそれぞれの生年月日まで、旧暦を用いたといわれている。これは、生活習慣化・社会習慣化していたからともいえたが、意識して使用していた人々もおり、総じて旧暦リズムを使用することで、日本帝国主義への抵抗を表明していたのかもしれない。
(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)