【朝鮮人動員の地を巡る。】「松山市吉田浜航空基地 掩体壕」

(写真:松山市指定有形文化財 「掩体壕」)

 掩体壕とは軍用機を上空の敵機から守るために造られた格納庫で、太平洋戦争末期には全国の軍用飛行場に造られていた施設である。

 そんな掩体壕が愛媛県松山市に点在していると「朝鮮人強制連行調査の記録―四国編―」に記載されていたため、実際に現地に赴いた。

 戦前、松山海軍航空隊と松山海軍航空基地が設置され航空基地の飛行場付帯施設として南吉田・垣生両地区に掩体壕が63基作られるも、戦後、そのほとんどは消滅し、南吉田区には現在3基のみ現存している。

 そして、いずれの掩体壕も飛行場につながる隧道(トンネル)があり、中には水路として利用されているものもあるようだ。

 朝鮮人強制連行真相調査団によると、戦前、松山市高岡辺りで隧道工事に従事していた高乗紹(コウピョンソ)氏は、「隧道工事はほとんど朝鮮人がおこなった」と証言し、また、この地域のおばあさんも「トンネルはみんな半島人がやっていた」と証言したそうだ。

 しかし、現地の掩体壕に関する紹介の中に「朝鮮人」という言葉は出てこず、ただ戦争の悲惨さや命や平和の尊さを伝える資料として重要であるとだけ書かれている。

 当時、危険な仕事と知りながらも命がけで隧道工事にあたっていた朝鮮人がいたことを、少しでも多くの人に知ってもらいたい。

 犠牲になったのは隧道工事に携わっていた朝鮮人だけではない。これら人々の家族、なかには生まれたばかりの赤ちゃんもいたことと思う。悲惨な戦争を伝承すること自体は間違っていない。ただ、その悲惨な戦争の裏で朝鮮人もいたことを我々日本人はもっと知るべきではないだろうか。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)