【書評】「たかし言質論第5集 ポピュリズム化する安倍晋三」書評 『日朝関係を正しく理解するための一冊』

【著者紹介】
名田隆司(なだ たかし)
1936年大阪生まれ。学生時代から社会サークルを結成し、新聞社に就職後も記者としての仕事の傍らで環境、市民運動、朝鮮問題といった多くの社会運動を行う。
1970年代にチュチェ思想と出会い、朝鮮関係の著書執筆のための取材活動を目的に50回以上訪朝。
1990年に愛媛現代朝鮮問題研究所を立ち上げる。著書執筆の功績として朝鮮から共和国親善勲章一級、朝鮮作家同盟賞、名誉博士称号など多くの賞を受賞する。
2014年に膵臓癌の手術を受けながらも同研究所ブログにて500を超える作品発表を続ける。
2018年、長い闘病生活の末、82歳で逝去。

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「たかし言質論第5集」は、愛媛現代朝鮮問題研究所代表の名田隆司先生が生前最後に作成に携わった遺作である。
内容は、過去に研究所のブログに掲載した記事をまとめたもの。
闘病中にも関わらず、精力的に活動されていた名田先生の朝鮮問題に対する強い思いが感じられる一冊だ。


日本には日朝関係に関する新聞やニュース、政府の報道を鵜呑みにする人々が多く存在し、そういった人々は「北朝鮮」と聞くと、拉致問題や核兵器製造国といったワードを連想し、怪しい国であるとか、危ない国であるといった印象を持つ。

本書では、これらの印象が米国や日本の政治家による印象操作によって植え付けられたものであることを指摘するとともに、拉致問題をはじめとする朝鮮問題に対する日本政府の姿勢、そして日朝間の諸問題を解決するための考え方について考察している。


本書ではまず、拉致問題が今日まで解決しない原因について1990年代まで遡り解説している。
日朝政府間交渉について、日本は1990年の第一回南北首脳会談や韓国・ソ連の国交樹立、1992年の朝米高位級会談開催などの南北間の関係改善や朝米関係における朝鮮半島のデタント化に刺激されてようやく動き出すこととなった。
1990年、当時の金丸信元副総理と田辺誠社会党副委員長らの代表団が訪朝し、金日成主席と会談し「三党共同宣言」を発表した。
その宣言の骨太は「三党は過去に日本が三十六年間、朝鮮人民に与えた不幸と災難、戦後四十五年間、朝鮮人民が受けた損失について、共和国に対して十分に公式的に謝罪を行い、償うべきである」というものだった。
 
こうして、日朝両国は国交正常化に向けて動き出したわけであるが、これに対し、米国は日本に「日朝政府間交渉に際し、核廃棄や経済制裁など圧力をかけるように」との注文をつけてきた。
当時、こうした米国からの圧力がありながらも2000年まで日朝政府間交渉が続けられたのは朝鮮側の真摯な姿勢があったからであるが、米国は日朝交渉の中心人物であった金丸信の政治献金疑惑を暴露し、彼の政治生命を絶つことによって日朝交渉を挫折させた。

この一件以降、米国の了解なく先行交渉する政治家は、米国により政治生命を奪われてしまうという「金丸トラウマ」に陥ることになる。
現在の日本政府が、米国に追従し朝鮮に圧力をかけるようになったのは、米国に政治生命を握られているという背景があったからにほかならない。
仮に、当時の日本政府が「主体性」を持ち、米国から自立し、日朝国交正常化を目指していたならば、朝鮮半島の「今」は大きく変わっていたであろう。

しかし、「三党共同宣言」を発表し、日朝国交正常化を目指した金丸信が政治生命を絶たれたにもかかわらず、「日朝平壌宣言」を発表した小泉純一郎元総理が政治生命を絶たれなかったのはなぜか。
それは、小泉元総理の訪朝は表向きこそ拉致疑惑問題解決を目的としていたが、その真の目的が米国の朝鮮視察のための「特使」的役割だったからである。

その訪朝を通じ、「拉致疑惑」が「拉致問題」に変わったことを受けて、小泉元総理とブッシュ元大統領は、拉致問題を人権問題で朝鮮を追及していくための「道具」として利用していく「密約」を結んだのではないかと先生は本書で指摘している。

米国に追従し、拉致問題を政治利用することとなった日本政府は、朝鮮に各種圧力を加えることで拉致問題を解決しようと試みるわけであるが、この策では拉致問題を解決することなど到底不可能である。

例えば「日朝平壌宣言」では、①国交正常化の早期実現への努力②過去の植民地支配の反省と謝罪、朝鮮への経済協力③国際法の遵守、日本国民の生命及び安全と関連した懸念問題(拉致、工作船)について再発防止のための適切な処置をとる④核問題解決のための国際的合意の遵守、という項目について、「一括妥協方式」で諸問題を解決することが決められた。ここには、日本政府が度々主張する「拉致問題の先行解決」については列挙されていない。
ここで、先生は「日朝平壌宣言」が確認しているように、日朝国交正常化の前に植民地政策について清算する必要があるとし、そのためには、拉致問題を政治利用することで反朝鮮や嫌朝鮮のムードを作るのではなく、日朝双方が歩み寄る必要があると述べている。

日本で拉致問題をはじめとする朝鮮問題を正しく認識している人はどれくらいいるだろうか。
おそらく、大半の日本人が米国や日本の政治家による情報操作が原因で、朝鮮について誤解をしていると思う。
「日朝平壌宣言」や「ストックホルム合意」を見ても朝鮮は、日本と対話をする意思を示してきたにもかかわらず、それを反故にしてきたのは米国とそれに追従する日本の政治家たちであった。


日朝間の問題は、米国の顔色を伺いながらではなく主体性をもって、日朝間で話し合われるべきである。
そのためには、正しい歴史認識を待った上で、互いの国が自立し、主体的に話し合う必要があるが、日本には日朝間の問題について、目を背けている人が多いように思う。
そのような人たちにこそ名田先生の著書を手にとってほしいと感じている。



(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)



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朝鮮人動員の地を巡る。「高知県 津賀ダム」

(写真:津賀ダムの平和祈念碑)


高知県大正村(現在は四万十町)の山奥に位置する津賀ダム。

このダムの建設に、第二次世界大戦中、約300人の朝鮮人が動員された。飯場では、世帯で暮らしていた朝鮮人もおり、当時の記録や証言などによれば、その内100人ほどが朝鮮から強制連行された人々だった。

建設作業自体も、きつい、汚い、危険なものであったそうだ。

分かっているだけで死者は5人。その他にも、事故で、ダム本体の工事中に落下した朝鮮人の遺体を引き上げることなく、セメントを流し込んだという証言もある。

高知県内では、津賀ダムの他にも各地のインフラ建設等で朝鮮人が動員された記録が残っているが、この津賀ダムには唯一「平和祈念碑」がある。

犠牲となった朝鮮人労働者の追悼と平和を願うことを目的に建設されたものだ。



津賀ダムでの朝鮮人強制連行の問題については、高知県内の幡多(はた)地域の高校生サークル「幡多高校生ゼミナール(幡多ゼミ)」が1990年から調査している。

2009年には、幡多ゼミのメンバーはは、高知県を訪れた韓国の高校生や若者らとの交流も行ったそうだ。

若い世代がこうした日韓の歴史問題に関心を持ち、負の歴史を闇に埋もれさせないようにしていることを素晴らしいことだと思う。

私自身も、津賀ダムを訪れ、改めて歴史問題を風化させないことの重要性を再認識し、本記事を執筆している次第である。


地元の朝鮮人無縁墓を長年にわたって供養してきた中平吉男さんによれば、動員され、働いていた朝鮮人が悪さをしたといった話はない。むしろ地元の小学校では、日本人も朝鮮人も関係なく友情を育んでいたとのことであった。
また、3人の朝鮮人青年は、地元の日本人女性と結婚したそうだ。

過酷な環境の中、少しでもこうした心温まるエピソードがあるのは、せめてもの救いであるように思う。


縁あって、私は高知県内で行われた朝鮮人強制連行に関する史跡巡りツアーに参加し、津賀ダムの存在を知ったのだが、参加者の方の一人が「朝鮮人強制連行は、現在の技能実習生制度の構図と似通った部分がある」と仰っていたのが印象的であった。

その生涯が閉じるまで祖国の土を踏めなかった朝鮮人の方々の魂が、せめて祖国で安らかに眠っていることを願う。


(文・愛媛現代朝鮮問題研究所)



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